「ニート・フリーター予防教育」のいかがわしさ
「ニート・フリーター予防教育」のいかがわしさ
ニート・フリーターの増加が言われるなかで、ニート・フリーターにならないための教育がはやっている。 そのような教育を紹介している記事等を見る中で疑問に思うものがある。読売の記事で気になったものがあった。それを引用してみよう。 2005. 10. 03 読売 ・その本 鳥居 徹也 フリーター・ニートになる前に読む本 本当なら上記の本を読んでから、エントリーを書くべきだろうが、手元にないので代わりに、この委託事業を紹介したページを参考にした。(平成17年度 文部科学省委託事業 『フリーター・ニートになる前に受けたい授業』 「全国授業キャラバン」 ) 最初に言ってしまえば、正社員になれないのは雇用状況の厳しさが大きな要因であるにもかかわらず、個人の努力を強調しすぎていることだ。それと脅迫的な指導のやり方である。 就職をイス取りゲームに例えるなら、参加者がうまくイスを取ることができないことよりも、参加者に対してイスの数が足りないことのほうが問題である。いかにいいイスを取るためのアドバイス自体は否定しないが、イスに座ることができない者はどうすべきかという問題意識が欠けている。正社員と非正規社員の間で一定程度賃金の格差が認められるとしても、今の格差は合理的な範囲か?、フリーターならば社会保障のサービスを受けられないのは当然のことなのかといった問題意識を持つことを妨げるような教育である*1。 このような「働くことはすばらしい!」プラス「フリーターは地獄だ!」といった教育ばかりしていると、正社員として働きたいがために、どんなに不当な扱いを受けても会社にしがみ付く人間を生み出す可能性もある。会社から捨てられないようにするために、体に無理のあるような長時間を受け入れ、心身を害し、最悪、死に至ることもある(過労死・または過労が元になった自殺)。職場でパワー・ハラスメントの被害を受けたとしても、退職することもできず、泣きながら職場に行くしかない。 また、運よく正社員として働けた者が、なかなか正社員として仕事につけない者の対して「傲慢」になるかもしれない。言うならば、「お前が正社員になれないのは、お前の努力が足りないからだ!だから、お前が十分な社会保障・福祉を受けられなくても、すべて自業自得だ!」と。 内藤朝雄は以下のようにいう。『われわれは長らく、正社員として人格をあけわたして「社畜」状態で安定するか、「フリーター」として貧困で不安定な生活をするかという二者択一を強いられてきた』(論文未入手のため、内藤氏のプログ より引用)。まさにこのような教育というかそれ以上に強化するものである。 内藤は先の文に続けて『ニート現象を心がけや生活態度の問題としてではなく、労働分配問題としてとらえ直せば、日本社会の働き方を根本から問い直すチャンスになるだろう』と述べているが、ニート・フリーターの問題を「個人の意識」の問題として青少年を「教育(脅迫)」することを推進するのは、(あえて、陰謀論的な言い方をすれば)日本的働き方によって利益を得ている人たちがその利益を失わないように、「日本社会の働き方を根本から問い直」されるのを防ぐための政策かもしれない。
by coma79
| 2006-01-10 20:44
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